2020年05月19日

令和元年(2019年)5月19日

大正10年7月23日生まれ、大正ー昭和ー平成ー令和の時代を生き切った母が令和元年(2019年)5月19日(日)早朝新緑の南阿蘇の山懐で生涯の幕を閉じた享年97歳


長女、次女、長男、次男、三男の5人を生み育ててくれたとにかく働き者の母。昭和30年代私が幼いころ当時祖母を含め8人家族のために早朝5時前頃から、かまどの火をおこし米を研ぎ飯を炊く母。木製のたらいと洗濯板で洗濯する母。冬でも冷水での家事であかぎれが痛々しかった手


昼間は家の土間で、近所の子供相手の駄菓子屋を開き駄菓子売りのかたわらでお好み焼きを焼いて売っていた。夜は食事の片づけが終った後に精を出していた数々の内職仕事



末っ子の私が中学・高校生の頃になると街中の居酒屋で厨房の仕事をし日付が変わるころに帰宅していた母。翌朝はまた早朝から父と子どもたちの弁当を準備していた母。愚痴や文句を口にせずただただ一生懸命に働き抜いた母


愚直で寡黙な父と厳しい家計を懸命にやりくりしていた母


木工(家具)職人だった父が仕事を引退したあと脳梗塞を患い入院し、ほぼ2年間寝たきりの状態だったが母は自宅からバスを乗り継ぎ1時間程度かかる病院まで2年間一日もかかさず看病に通い詰めた。


父が亡くなった後も一人で自立した生活を送っていたが80歳前半の頃に骨粗鬆症の激痛で一人での生活が困難になり誰かそばについてなければならない状態となり私が同居することとした。何度かの入退院を繰り返し結局約10年程同居生活を続けた。


自分が大人になり、家庭を持ち子どもを育て、親のことを思うようにまると、「母は貧しさの中で楽しむことなど何もなかったのではないだろうか?」「自分の人生をどう思っているのだろうか?」、「苦しいことばかりで何にも楽しいことなんかなかったのではないか?」「人生を楽しむ余裕も時間もなかったはないか?」・・・ ずっと気になっていた


母が80歳半ばを過ぎ、骨粗鬆症の症状も落ち着いたころ夕食の後の何気ない会話のなかで、「私の人生はほんっと楽しかった」と笑顔でぽつりとつぶやいた。想像していた母の気持ちからは想定外の言葉だった。「楽しかった? 大家族でお金の苦労ばかりで何一つ自分の贅沢や楽しみなどなかったはずなのに、ほんと!?」。しかしそう話した母の笑顔はとても満足そうで幸せな表情に見えた
すこしでも楽しい時間を作ってあげたいと思っても、大したこともできず申し訳ないと思っていた私の気持ちが救われた瞬間だった。


90歳を過ぎたころから痴ほうの症状が気になるようになり、私が昼間仕事に出ている間一人で過ごさせることが不安で施設への入所を検討したが結局一時長男と同居し、その後長男の住まいの近くの施設にお世話になることになった。


入所当初は気持ちが不安定になり、これまであまり見たことのない不安で険しい表情が見られ心配したが環境と施設のみなさんの親切な対応に安心したようでその後はずっと安定して居心地よさそうにくらしていた


元気だった母も足が弱くなり、歩行がやっとの状況から自分の部屋の中を移動するときは四つん這い、施設内の移動は車いすになったころ、私が訪問し会話していた時、目の前をやっと自立歩行している入所者を見ながら「わたしゃまだ、あぎゃんな、なろごつなか」(私はまだあのようにはなりたくない)と言いました。自分ではまだ達者に歩いているつもりのようだ。


いよいよ母の体が弱くなってきたころ施設から「大事なお話があります」とのことで伺うと「そろそろ最後の時をお迎えになる時期が近づいてきたようです。延命治療を望まれますか?」と問いかけがあり、いっしょに話を聞いた姉と一緒に「母が苦しまないことだけを望みます。自然な形で最期を迎えさせたいです」とお願いした。


それから数日後、2019年5月17日(金)大阪出張の仕事を終えた頃姉から「母ちゃんが危ないらしい」との連絡を受け宿泊の予定を切り上げ急ぎ熊本へ戻る。


施設に電話をし深夜の時間帯になるが伺っても大丈夫ですか?と尋ねたところ「大丈夫です」とのことだったので24:00頃帰宅後、車で母のもとへ。翌2019年5月18日(土)AM1:30頃到着。


朝まで部屋で一緒にいてもよいとのことでベットの脇に椅子を寄せて母を見守った。ベットで弱弱しい呼吸を繰り返す母。気が付くと呼吸が止まっている。・・・ 10秒、15秒見守っていると、「はぁっあぁー」と息を吹き返し大きくあえぐような呼吸を繰り返す。次は息を吹き返さないのではないだろうか? この次は大丈夫か? ・・・ が翌朝まで続いた。
いつかこの呼吸が止まる時が来るんだな、これが人の自然な最期の迎え方なんだな、となんとなく受け入れた。

母が部屋からみていた5月18日(土)早朝の緑の風景




当日姉が来るとのことだったので一旦自宅へ戻り出直すことに


5月18日(土)一日を乗り切り翌5月19日(日)早朝最期の時を迎えた苦しむことなく穏やかに、命の灯を最後の最後まで燃えつくした見事な命の終わりだった


・・・あらから1年の今日墓参りへ行き1年前のこの記録を残す。  

Posted by sei_k at 23:52Comments(0)プライベート

2018年01月13日

インフルエンザB型 予防接種してたのに残念( ´Д`)y━・~~

昨日の朝から少しだけ喉に違和感、昼頃から咳が出始めて、今朝熱が出て全身倦怠感。インフルエンザB型。めっちゃしんどい。

偶然にも3年前の同じ日、20年数年ぶりに”インフルエンザ”にかかっていたので、今シーズンは12月に予防接種受けて備えていたが残念アウチ  

Posted by sei_k at 22:15Comments(0)季節ネタ

2016年08月16日

iphone6プラス落下して破損。4sにSIM差替えてしのぐ  

1か月前に「iphone6プラス」が手元からすり落ちて路上に落下(+_+)
動作はするが、画面が破損して端末交換が必要な状態だったので
近くのアップルショップで同機種限定で有償交換


担当してくれた店員が
「落下時、衝撃に強い強化ガラスのスクリーンプロテクターがおすすめですよ」
と薦めるので端末交換と一緒に即買い
端末交換とフィルム代(税別3,800円)で4万数千円
「Softbankの補償に加入されていれば3万数千円は戻りますよ」との店員の説明に
ホッと胸をなでおろして帰宅。

帰宅後、破損した端末のデータを交換した端末に移行しようと
iTunesで作業をしたつもりが
新端末をつないだ時に「新規端末として認識する」としたようで
旧端末のデータが移行できずに、データが初期化状態に(一一")
ここから各種設定やら電話番号の登録やら悪戦苦闘の末やっとこれまで通り使える状態に(ホッ)


しか~し、翌日にやらかした


ボディバッグを肩にかけ替えるときに、昨日悪戦苦闘して使えるようにしたiphoneが
バッグからすり落ちて、「ガチャッ」という音をたてて路面をズルズル~

「なんてこった」と思ったが
「そうや!、今回はアップルのスタッフがすすめた『落下の衝撃に強い強化ガラスのスクリーンカバー』を貼ってるから大丈夫ちゃうか!?」
と思ったが無残に画面破損!
「くっそ~」 と腹立しかったが、店員に罪はない。アホな自分が情けない(T_T)


その日のうちに「Softbank」ショップへ
「昨日、アップルショップで端末交換しsoftbankの補償を使うが
今回も適用できるか?」との問いに
「6か月後から適用できます」との回答
(そりゃそうだろうなと渋々退散)

しばらく透明テープを全面に貼り付けてしのいだが
以前使っていた「iphone4s」が自宅にあったので、これを使えないかググると

サイズ違いのSIMを利用できるよう「アダプター」を準備して
「iphone6プラス」のSIMを「iphone4s」へ挿入すれば
同じように利用できることがわかり電気店でアダプタ―を購入して
今日から「iphone4s」に戻して利用
ホールド感が良くてなかなかいい感じ!

■画面が破損した「iphone6プラス」とSIMアダプター



■復活した「iphone4s」とSIMアダプター



「iphone6プラス」のホールド感


■「iphone4s」のホールド感



大画面が見やすく「iphone6」サイズがあれば
視力の弱った年齢層でも情報が読み取りやすいが
小型端末はホールド感が実にいい感じ
気分次第で使い分けもできそう






同じように困っている方があれば試してください。
  

Posted by sei_k at 22:16Comments(0)雑記

2016年04月19日

「備え」を整えて強い余震に備える

4月14日(木)21:26 震度7の「前震」から始まった「熊本地震」
28時間後の4月16日(土)01:25 震度6強の「本震」に襲われた。

その後、これまでの4日間で、震度5~6の大きな余震を含めて数百回の余震が発生し、これからまだまだ強い余震が続くのではないかと心配で不安と緊張感が続く ・・・ 書いているときに緊急地震速報が鳴る ・・・ この音を聞くとすぐに体が反応して身構える

「備え」を整えて強い余震に備える

停電

14日の「前震」のときに、以前から備えていたラジオ付きの懐中電灯を取り出したら、電池がダメになっていて役立たなかった反省から、翌日に電池を購入、16日の「本震」で停電した際は、情報源としてラジオが確保できたので不安が和らいだ。
また、停電時に照明として役だったのが、自転車用の取り外し式小型ライト

断水

①常に一定量の飲料水を何らかの形で確保しておく工夫が必要
 本震発生時に飲料水はペットボトル1本だけ!飲み水の確保ができるのか一気に不安になった
②風呂の水は抜かずに常に貯水しておく
 トイレを利用したくなったときに流す水が確保できず「しまった!」と思った。
 地震で皿の上の食べ物や飲み物などが散乱。水が利用できず、水が利用できるようになるまで部屋の中がベトベトのまま過ごさなければならなかった

食べ物が調達できない

コンビニやスーパーは、店舗被害で営業できない店も多く、営業している店舗のほとんどが弁当やパンなどは売り切れ状態が続いていて食べ物が調達できない。
たまたま冷蔵庫に冷凍の食品が複数あって助かった。でも、辛抱すれば数日飲食しなくても大丈夫という気持ちもあってそれほど焦りはなかった。

情報源の確保

前述のラジオ付きLED懐中電灯と、自転車用のLED小型ライトをフル充電し常時携帯
携帯電話と予備電源は常にフル充電


家を失ったり、一時家に住めなくて避難所で過ごさざるを得ない方々には参考にもなりませんが書き留めます  

Posted by sei_k at 00:12Comments(0)時事

2016年04月17日

「熊本地震」 連続する強い余震に続く不安

M6.5・最大震度7が「前震」だった

「熊本地震」は14日(木)21:26の、M6.5・最大震度7が「前震」で16日01:25に発生したM7.3・最大震度6強の地震が「本震」だった

14日(木)の震度7の「前震」は屋外で遭遇。16日(土)深夜01:25の「本震」は自宅マンションの部屋のソファーで仮眠中に襲われた。

ソファーの周りには倒れかかるものはなく、けがの心配はなかったので身を固めじっと治まるのを待った。ただ「前震」では転倒しなかったTVが目の前でドーンと転倒。別の部屋では家具や書棚が転倒する音が響いて恐怖をあおった。
ブログを書いている今もグラグラッと余震があって身構えた。

自宅は停電、断水、必要なものを求めてコンビニ、スーパーに行っても、被災して営業できない店が多い。
中には、混乱した店内の一部を整理して買い物に訪れる客に懸命に対応してくれている店をあった。困ったときに助けてくれてありがたい


私は部屋の一部がグチャグチャで、階上からの水漏れで階下の自室に多量の水が漏れ出て水浸しの状態とはいえ、幸い自室で暮らせる状態だが、今を乗り切るために、その人のおかれた状況に応じて地震情報、配給、交通情報など場面場面で必要な「情報」がほしい。
情報を取りたくても取れない人も多いが、被災現地で必要な情報のまとめがあるのでご参考に
熊本地域ブログ「地震情報」 → http://news.otemo-yan.net/


被災されたみなさんに、熊本に支援をお願いします



毎日新聞ニュースサイトから
http://mainichi.jp/graphs/20160416/hpj/00m/040/001000g/1

http://rdsig.yahoo.co.jp/RV=1/RU=aHR0cDovL2hlYWRsaW5lcy55YWhvby5jby5qcC9obD9hPTIwMTYwNDE2LTAwMDAwMTA1LW1haS1zb2NpLnZpZXctMDAw;_ylt=A7YWMhXtCxNXuSgAoe_yluZ7

以下、わくわく都市 くまもと(熊本市役所)公式facebookページから
https://www.facebook.com/KumamotoCity/?fref=nf

【地震に関する支援物資の搬送について】
○支援物資送り先
〒861-8012
熊本市東区平山町2776
「うまかなよかなスタジアム(熊本県民総合運動公園陸上競技場)第3ゲート」
・搬送業者専用電話番号 070-6968-8623
※問い合わせは下記にお願いします。
※直接持ち込まれる方は、お近くの避難所や区役所にお持ちください。
【問合せ先(熊本市の担当部署)】
地域政策課(電話:096-328-2031)
○必要物資
長期の避難生活に必要なもの
・飲料水
・アルファー米(断水のため炊飯ができません)
・カップめんなどの保存ができる食料品
・ウェットティッシュ
・おしりふき
・生理用品
・紙おむつ(大人用、子ども用)
・トレットペーパー
・粉ミルク
など
※なお、輸送に時間がかかる場合がありますので、生ものや傷みやすいものはご遠慮ください。
  

Posted by sei_k at 12:59Comments(0)時事

2016年04月15日

熊本で大地震 H28年4月14日(木)21:26

熊本県熊本市 H28年4月14日(木)21:26 震度7発生

熊本駅構内の地下通路を歩行中に強烈な揺れ!
その場にうずくまり、揺れが数十秒続いた後、治まるのを待って地上へ移動

余震が心配でマンションの部屋に戻らず周辺の様子を覗っているときにも
大きな余震が連続。
目の前の3階建てのビルが「ガシャガシャ」と大きな音を立てて
壊れるのではないかと思うほど横に大きく揺れた
近くのホテルの客は全員外で待機。

ブログを書いている地震発生から数時間後の今まで
大きな余震が何度も繰り返す。

熊本は大きな地震がない地域と思っていたが
想像もしなかった強烈な揺れに足がすくむ思い




  

Posted by sei_k at 01:03Comments(1)時事

2015年10月25日

野生の鹿 熊本市内近くの白川(しらかわ)で目撃

昨日、今日と秋晴れのいい天気でした。
天気が良かったので40キロ程度のサイクリングをしましたが、途中阿蘇から熊本市内へ流れる白川(菊池郡津久礼付近)で水浴びをする野生の鹿を目撃しました。
こんな熊本市内に近い場所で野生の鹿! 角も立派で体も大きめ 

しばらく見ていると川を渡り始めた


動画をこちら


場所はここ
地図情報では熊本県菊池郡菊陽町


サイクリング中に見かけた、住宅街の一角のコスモス畑

この写真撮った後、砂利道で自転車の車輪が滑って転倒
両手をついて1回転、両てのひら砂利で傷だらけ(T_T)

傷心(+_+)で帰路に向かっていたら川景色のいいところで鹿に遭遇。気分がワクワクして元気に家に戻りました。  

Posted by sei_k at 23:22Comments(0)雑記

2015年07月01日

未明からの激しい雨で朝のJR熊本駅混乱

今日は未明からゴーゴーと風の音とともに横殴りの強い雨。
H24年7月のかつて経験したことのない大雨!程ではなかったけれど、熊本市内中心部を流れる白川もかなり増水した模様。画像はくまにちコムさんから


JR熊本駅では列車の運行取りやめや延着などで混乱
私が乗車する予定の電車は20分延着、乗車ホーム変更のアナウンスを聞いて早足でバタバタと変更になったホームへ移動。

普段はゆっくり座れる車内も今日は人がいっぱい。出発を待っていると「○○時○○分発の○○行きの列車は後ろ2両に変更になります。お乗換えください」のアナウンス。全員「えぇ~」の声を上げて大慌てで車両を移動。結局約40分遅れで出発。みなさんごくろーさん

  

Posted by sei_k at 20:08Comments(0)時事

2014年12月28日

今日は稽古納め 明日は会社の仕事納め 自分の仕事納めはもうちょっとかかりそう

今日は稽古納め

明日は会社の仕事納め

自分の仕事納めはもうちょっとかかりそう
すっきりと仕事始めが迎えられるよう
ラストスパート


  

Posted by sei_k at 18:01Comments(0)季節ネタ

2014年01月16日

「こうのとりのゆりかご」ドラマは良かった

何か月か前に放送されたこのドラマは良かった。






一方、こちらのドラマは見ていないし、ドラマがどう展開していくのか分からないが、事情があって親の愛情を受けることのできない子どもたちと、その子どもたちに親と変わらない愛情を注ぐ関係者の心を思えば、この抗議は当然



  


Posted by sei_k at 22:16Comments(0)雑記

2014年01月13日

くまもとの風景今昔 貧しくも幸せだつた昭和30年代

「RKK」 TV局の開局60周年記念特別番組として、TV局が開局された当初の昭和30年代前半頃のくまもとの風景を中心に特集した4回シリーズ番組の3回目の放送を見た。

自分が幼ない頃の記憶に残る風景が次々と紹介され、なつかしく見入ってしまった。40代以上の人達にぜひおすすめです。

RKK 開局60周年記念特別番組 「熊本風景今昔」
  


Posted by sei_k at 20:46Comments(1)雑記

2014年01月10日

”その一秒を削り出せ” 箱根駅伝優勝 東洋大学のチームスローガンが選手の必死の力を支えた

 箱根駅伝では毎年熱いドラマが生まれる。今年は東洋大学がチームスローガンの「一秒を削り出せ」を全員が心に刻んで激走し、他校を圧倒する力を発揮して歴代2位の記録で完全優勝を飾った。

私が幼い頃、近所には二つ上の兄と同い年の人たちが多く、兄を含めこの人たちに交じって、「鬼ごっこ」や「缶蹴り」、「コマ回し」、「凧揚げ」などなど、季節ごとにいろいろな遊びで一緒に遊んでもらっていたが、小さい頃なので2歳の年の差のハンディは大きく、出来そうにないことも「出来る」と無理をして必死についていかないと一緒に遊んでもらえない不安があって、いつも背伸びをしながら一生懸命ついていっていた記憶がある。このころの幼児体験が大人になってからの私の性質に影響しているようで、自分は「必死でやらないと人並みのことが出来ない、ついていけない」という思いが強く、箱根駅伝で選手たちが必死の力を振り絞って激走する姿を見ると、いつも、彼らの全力を出し切る強さを見習いたいと思い、彼らの姿に感動する。



(画像は「msn 産経ニュース」http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2014/01/03hakone/さんからお借りしました)  


Posted by sei_k at 18:47Comments(0)雑記

2014年01月09日

熊本県民百貨店地下の辛子蓮根売り場の店員さんは「新宅」さんだった


1月6日のブログ「熊本県民百貨店地下の辛子蓮根売り場の店員さんに感動した」http://ursei.otemo-yan.net/e817511.html)で書いた店員さんのお名前は「新宅」さんとわかった。(画像はウィキペディアから

この店員さんの対応に感謝し、感動した客がいることを県民百貨店さんに伝えたいと思い、昔なら感謝のハガキや手紙となるところだが、1月6日のブログを書いた後に県民百貨店のホームページの問合せメールに短い経緯を書き詳細は私のブログURLを伝えて、ブログ記事でお伝えすることにした。


このメールに対して今日、サービス推進部署の担当の方から「私共の辛子蓮根売場の販売員(新宅)接客応対につきまして、ご丁寧なお言葉を頂戴いたしまして誠にありがとうございます。早速、新宅本人にも川部様からのお言葉を伝えましたところ、とても感動していたことをご報告させていただきます。  (中略)  お母さまにもよろしくお伝えくださいませ。これからまた寒さが厳しくなります、暖くなりましたらどうぞご一緒にご来店くださいませお待ち申し上げます。」との連絡をいただき、店員さんの名前が「新宅」さんと教えていただいた。


当社は「お客様の期待を超えて、お客様に『感動』していただける商品・サービスをお届けできる会社」を目指しています。この店員さん(新宅さん)の件は、1月6日の社員に向けた年頭のあいさつの中で私の『感動』体験として全社員に伝えました。


昨日の「好きな歌手やったなぁ 『やしきたかじん』さんがハンバーガーを食べない理由」で紹介したが、たかじんさんは「(恩人である)〇〇さんのハンバーガー以外は死ぬまで食べへんと決めた」わけだが、私はこれからも「辛子蓮根」を買うときは、「新宅さんから買いたい」と思った次第です。






  


Posted by sei_k at 19:00Comments(0)雑記

2014年01月08日

好きな歌手やったなぁ 「やしきたかじん」さんがハンバーガーを食べない理由

やしきたかじんさんの歌カラオケでよう (歌)うとうとったなぁ。漫才師よりおもろいトークでゲストをグイグイ引っ張ってどんな番組やっても人気番組になってた。(画像はnikkansports.comさんからお借りしました)

たかじんさんの持ち番組のテレビの生放送中に、二人でトークしていた落語家の”ざこば”師匠とマジ喧嘩になり、ざこば師匠が「そんなんやったら帰るわ!」言うたら、 たかじんさんが「帰ったらええがな!!」とやり返して、本番中にゲストが返ってしもたり、深夜番組でゲストを迎えて酒を飲みながらのトーク番組で過激な裏話をしゃべったり、普通のMCでは味わえない危うさとトークの面白さで人気抜群だった。

そんな過激な反面、たかじんさんの情の深さが知られたトークがあった、当時番組を見ていてグッときた。
「やしきたかじんがハンバーガーを食べないわけ」少し長いですが - YouTubeご覧ください。4分過ぎで理由がわかります。

ご冥福をお祈りします。

  


Posted by sei_k at 18:53Comments(2)

2014年01月06日

熊本県民百貨店地下の辛子蓮根売り場の店員さんに感動した

昨年末に東京の次兄に正月家族で食べる「辛子蓮根」を送るように頼まれた。

昨年までは母親が次兄のために毎年欠かさず送っていたもので、何度か付き添って買い物に行っていたので、同じものをと思い、毎年購入していた熊本県民百貨店地下の辛子蓮根売り場で購入し兄のもとに送った。

次兄が年末に私に辛子蓮根を送ってくれるよう頼んできたのは、昨年まで送ってくれていた母親が、熊本市内を離れ阿蘇に住む長兄のもとで暮らすことになり買物に行けなくなったためだった。

母は、毎年同じお店の同じ女性店員さんを訪ねて購入していたので、私も同じお店で購入したわけだが、あいにくその店員さんは他の客の相手をされていて別の店員さんにお願いすることになった。

手続きを終えて店外に出たところで、「川部さ~ん」と先程のお店の店員さんが走ってきて声を掛けられたので振り返り「何か間違いがありましたか?」と尋ねると、先程手続きをしてもらった店員さんではなく、いつも母親が指名してお世話になっていた店員さんでした。

店員さん「川部さんですよね」

私「そうですが何か間違いでもありましたか?」

店員さん「いいえ、そうではなくていつもお買物していただいていた川部さんですよね」

と確認された後、

店員さん「いつもお元気に訪ねてくれていたお母さんのお姿を最近お見かけしなくなっていたので、どうされていたのかと思い、何度かお家にお電話しましたがつながらず心配していました」と少し曇った顔で尋ねられました。

私「ああそうだったんですね。実はこれこれの理由で阿蘇の長男と同居することになりこちらに出向く機会が無いんですが、おかげで元気にしています」とお答えすると

店員さん「そうだったんですね。よかった~くすん
と感極まったような表情になり涙をこぼされたように見えました。
声をかけてくれた時に店員さんの表情が曇っていたのは、母親は今92歳の高齢なので「母親が体調を崩して入院しているのか、ひょっとすると亡くなられたのではないか?」と思われて聞きにくいことを思い切って声をかけて尋ねられたのだと感じました。

たまに買い物をするだけの母のことをここまで気にかけてくれているんだと感じて、店員さんの気持ちに感動して私も泣いてしまいました。

熊本県民百貨店地下の「辛子蓮根売り場の店員さん」お名前は知りませんが本当にありがとうございました。早速母親に「ずいぶん心配してくれていたよ一度電話しといて」と電話して知らせました。

今年の正月に大阪から母に会いに来てくれた私の長男と小さくなった母のツーショット
  


Posted by sei_k at 19:38Comments(0)雑記

2013年12月02日

「じぇじぇじぇ」、「お・も・て・な・し」を「倍返し」するのは「今でしょ!」


年齢とともに月日の流れが加速します。もう12月に入りました。
今日、現代用語の基礎知識を発行する自由国民社から恒例のユーキャン新語・流行語大賞が発表されました。今年はインパクトの強いフレーズが多かったので興味がありましたが結果は、東進ハイスクール東進衛星予備校 林修さんの「今でしょ!」、滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」、NHK朝ドラあまちゃんの「じぇじぇじぇ」、TBSドラマ『半沢直樹』堺雅人さんの「倍返し」の4つが大賞を受賞しました。


・ユーキャン新語・流行語大賞 http://singo.jiyu.co.jp/
・画像は、TBS公式ホームページからお借りしました。http://www.tbs.co.jp/hanzawa_naoki/

書籍「現代用語の基礎知識」は、厚みが数センチはある分厚い本で、ネットが利用できるようになる前は、”今”の時代を表す言葉を探る手段として机の脇に置いて、ページに付箋をつけたりマーカーで線を引いたりして利用していました。 現代用語の基礎知識http://gendaiyougo.jp/about.html

ネットでほとんどの情報が検索できる時代に、今この本を購入して利用する人ってどんな年代や職業で、どれくらいいるんだろう?とこちらにも興味がある  


Posted by sei_k at 19:15Comments(0)季節ネタ

2013年11月29日

地熱で雪が積もらない?と思っていた桜島にも冠雪した今朝の寒さ

全国的に冷え込んだ朝でしたが鹿児島では桜島に冠雪が見られました。活発に活動し毎日噴煙を吹きあげる活火山の桜島は、「地熱で雪は積もらない」と思っていたのでちょっとびっくりしました。地元社員は「この時期の冠雪は珍しいですが、寒さが厳しい時期は冠雪ガありますよ」とのこと。




月に何度か鹿児島で仕事しますが桜島は見飽きませんね。男の山って感じです。


  


Posted by sei_k at 19:04Comments(0)

2013年11月06日

時事ネタ

阪急阪神ホテルズグループの食品偽装に端を発し、またぞろ次から次へと有名な会社が「誤表記がありました」と公表し、お詫びが続いている。阪急阪神ホテルズグループの食品偽装問題が大きく取り上げられたので、外部から指摘される前に自ら公表しようという動きなのだろうか?

これまで何度も、産地偽装、材料偽装、消費期限切れ食材の使用、賞味期限・消費期限の偽表示、食肉に関する補助金不正取得などなど同類の事件は様々発生していて、驚きは少ないが今回は広がりが大きくて身近な話なので関心は高い。

お客様に喜んでいただけるメニューを考えて、メニューごとに仕入原価を計算し、適正価格を決めてお客に提供するわけで、一流ホテルの料理人やベテランのプロの料理人が食材の違いが判らないとか、運営責任者がメニューの誤表記に気付かないとかありえないことで、食材の納入業者は納入先で客として食事もするし「あらら」と思っていたことだろう。

客は、「九条ねぎはやっぱり甘くて風味がいいね」とか、「手捏ねハンバーグは柔らかくてジューシーだね」とか、「車エビはプリプリして食感が違うね」とか、提供されている料理のこだわりに満足感を感じならが食事を楽しんでいたはず。

提供する側は「食材の違いが分かる客なんかいないんだから、適当に客が喜びそうなうんちくを並べた料理名を表示すれば客も喜ぶし、利益幅が大きいから店も”おいしい”からいんだ」ってところか?

消費者もそうだが、本物のこだわりの食材を提供している事業者、本物のこだわりの料理を提供している店は本当に怒り心頭だろう。店を信頼して食事を楽しみにしてきた客を欺いた責任は大きく、これから忘年会、お節と料理が主役のシーズンなのに波紋はさらに相当広がるだろう。これを機会に消費者を欺かない適正表示を徹底し、業界の信頼を取り戻し忘年会などの外食の機会やおせち料理で消費者を楽しませてもらいたい。「お・も・て・な・し」の国がこれじゃいけない



【食材にこだわり食の安全を訴えるお店のオーナーブログ】
熊本天草の天然地魚にこだわり安心安全の料理を提供されている「いけす料理 魚伊智」さん
こちらのオーナーから大量消費に潜む一般の消費者が知らない食のリスクに関するお話を何度か伺ったことがあります。  


Posted by sei_k at 20:41Comments(0)雑記

2013年10月30日

偉大な足跡を残した熊本県人 川上哲治氏逝く


画像はいずれも YOMIURI ONLINE  サイトからお借りしました。

熊本県人吉市出身で、熊本工業から読売巨人軍へ。現役時代は”打撃の神様”と呼ばれ、監督としては日本シリーズ9連覇を達成し偉大な足跡を残された。以下、川上氏の出身地人吉市体育協会のホームページで紹介されている記事を一部抜粋

【タ イ ト ル】
MVP:3回―1941年・1951年・1955年
首位打者:5回―1939年・1941年・1951年・1953年・1955年
本塁打王:2回―1940年・1948年
打点王:3回―1939年・1941年・1955年
ベストナイン:10回―1940年・1947年~1949年・1951年・1953年・1955年~1958年

【表   彰】
日本シリーズMVP(1953年)
日本シリーズホームラン王賞(1952年)
日本シリーズ首位打者賞(1953年)
日本シリーズ技能賞(1958年)
オールスターMVP(1951年第1戦)
野球殿堂入り(1965年)
勲四等旭日小綬賞(1992年)
文化功労者(1992年)
人吉市名誉市民(1992年2月11日)

【記   録】
シーズン打率:3割7分7厘(1951年)※歴代8位
シーズン打率3割以上:12回(1939年~1941年・1947年・1949年~1956年)※歴代3位タイ
シーズン三振数:6(1951年)※最少三振日本タイ記録
最多安打:6回(1939年・1941年・1947年・1953年・1955年・1956年)※歴代2位
打撃ベストテン入り:15回(1938年秋~1941年・1947年~1957年)※歴代3位
8年連続シーズン打率3割以上(1949年~1956年)※歴代2位タイ
9打席連続安打(1939年4月9日~9月11日)
10試合連続打点(1949年4月3日~4月14日)
1試合3三塁打(1949年6月21日)※日本タイ記録
1イニング2本塁打(1948年5月16日)
逆転サヨナラ満塁本塁打(1949年4月12日)※史上初
日本シリーズ通算打率:3割6分5厘(159打数58安打)※80打数以上では、歴代1位
サイクルヒット(1954年7月25日)
通算2000本安打達成(1956年5月31日)※史上初。1646試合目
通算猛打賞:194回※歴代2位
オールスター出場:7回(1951年~1954年・1956年~1958年)
通算1000試合出場(1950年10月19日)※4人目
監督歴14年で日本一(日本シリーズ制覇)11回

【略歴】
大正9年(1920)2月、球磨郡大村(現在の人吉市南泉田町生まれ。
熊本工業から甲子園大会出場準優勝。
巨人軍には投手として入団したが、その後バッティングの才能が認められ、一塁手に転向。混乱した終戦直後プロ野球は国民的な人気を集め、特に川上選手の「赤バット」、大下選手の「青バット」は、ファンに鮮烈な印象を与え、当時の暗い世の中を明るくした。昭和31年(1956)史上初の2000本安打を達成し、「打撃の神様」とたたえられ現役時代の背番号「16」は、巨人軍の永久欠番。
巨人軍監督として日本シリーズ9連覇(V9)は球史に残る偉業です。

こちらで詳しく紹介されています。(人吉体育協会HP 川上哲治の野球人生)

熊本県人の誇りです。合掌

  


Posted by sei_k at 18:50Comments(0)雑記

2013年09月17日

立派な青年に成長 (追記)

先々週の週末に観戦した、極真空手道場の昇段審査追記
前回の記事 → 立派な青年に成長(極真空手昇段審査)

昇段審査を受けた健太のお母さんからうれしい便りが届きました。中には彼が保育園で空手を始めた頃の1枚の写真が入っていました。


このころ保育園の一室をお借りして10数名くらいの園児たちに、立ち方、座り方から挨拶や礼儀、言葉使い、年齢にあった体力促進や体のバランスの向上などを目的に空手を教えていました。「空手は続けていれば勝手に強くなること、空手では先生(自分)の言うことを、保育園では保育園の先生の言うことを、家ではお父さん、お母さんの言うことを聞いて『はい』といえる子になりなさい。  って言っていました。  空手をはじめ武道は子供たちの成長に大いに役に立ちます。お勧めします。


20数年間、苦しいけいこを重ねて成長した姿です

詳しくはこちら → 立派な青年に成長(極真空手昇段審査)

極真会館関西総本部道場 弐段 谷口健太






空手道 川部道場HP ▶ 
http://kawabe.fun/karatedo-kawabedojo/  続きを読む


Posted by sei_k at 20:38Comments(0)KARATE