2020年05月19日

令和元年(2019年)5月19日

大正10年7月23日生まれ、大正ー昭和ー平成ー令和の時代を生き切った母が令和元年(2019年)5月19日(日)早朝新緑の南阿蘇の山懐で生涯の幕を閉じた享年97歳


長女、次女、長男、次男、三男の5人を生み育ててくれたとにかく働き者の母。昭和30年代私が幼いころ当時祖母を含め8人家族のために早朝5時前頃から、かまどの火をおこし米を研ぎ飯を炊く母。木製のたらいと洗濯板で洗濯する母。冬でも冷水での家事であかぎれが痛々しかった手


昼間は家の土間で、近所の子供相手の駄菓子屋を開き駄菓子売りのかたわらでお好み焼きを焼いて売っていた。夜は食事の片づけが終った後に精を出していた数々の内職仕事



末っ子の私が中学・高校生の頃になると街中の居酒屋で厨房の仕事をし日付が変わるころに帰宅していた母。翌朝はまた早朝から父と子どもたちの弁当を準備していた母。愚痴や文句を口にせずただただ一生懸命に働き抜いた母


愚直で寡黙な父と厳しい家計を懸命にやりくりしていた母


木工(家具)職人だった父が仕事を引退したあと脳梗塞を患い入院し、ほぼ2年間寝たきりの状態だったが母は自宅からバスを乗り継ぎ1時間程度かかる病院まで2年間一日もかかさず看病に通い詰めた。


父が亡くなった後も一人で自立した生活を送っていたが80歳前半の頃に骨粗鬆症の激痛で一人での生活が困難になり誰かそばについてなければならない状態となり私が同居することとした。何度かの入退院を繰り返し結局約10年程同居生活を続けた。


自分が大人になり、家庭を持ち子どもを育て、親のことを思うようにまると、「母は貧しさの中で楽しむことなど何もなかったのではないだろうか?」「自分の人生をどう思っているのだろうか?」、「苦しいことばかりで何にも楽しいことなんかなかったのではないか?」「人生を楽しむ余裕も時間もなかったはないか?」・・・ ずっと気になっていた


母が80歳半ばを過ぎ、骨粗鬆症の症状も落ち着いたころ夕食の後の何気ない会話のなかで、「私の人生はほんっと楽しかった」と笑顔でぽつりとつぶやいた。想像していた母の気持ちからは想定外の言葉だった。「楽しかった? 大家族でお金の苦労ばかりで何一つ自分の贅沢や楽しみなどなかったはずなのに、ほんと!?」。しかしそう話した母の笑顔はとても満足そうで幸せな表情に見えた
すこしでも楽しい時間を作ってあげたいと思っても、大したこともできず申し訳ないと思っていた私の気持ちが救われた瞬間だった。


90歳を過ぎたころから痴ほうの症状が気になるようになり、私が昼間仕事に出ている間一人で過ごさせることが不安で施設への入所を検討したが結局一時長男と同居し、その後長男の住まいの近くの施設にお世話になることになった。


入所当初は気持ちが不安定になり、これまであまり見たことのない不安で険しい表情が見られ心配したが環境と施設のみなさんの親切な対応に安心したようでその後はずっと安定して居心地よさそうにくらしていた


元気だった母も足が弱くなり、歩行がやっとの状況から自分の部屋の中を移動するときは四つん這い、施設内の移動は車いすになったころ、私が訪問し会話していた時、目の前をやっと自立歩行している入所者を見ながら「わたしゃまだ、あぎゃんな、なろごつなか」(私はまだあのようにはなりたくない)と言いました。自分ではまだ達者に歩いているつもりのようだ。


いよいよ母の体が弱くなってきたころ施設から「大事なお話があります」とのことで伺うと「そろそろ最後の時をお迎えになる時期が近づいてきたようです。延命治療を望まれますか?」と問いかけがあり、いっしょに話を聞いた姉と一緒に「母が苦しまないことだけを望みます。自然な形で最期を迎えさせたいです」とお願いした。


それから数日後、2019年5月17日(金)大阪出張の仕事を終えた頃姉から「母ちゃんが危ないらしい」との連絡を受け宿泊の予定を切り上げ急ぎ熊本へ戻る。


施設に電話をし深夜の時間帯になるが伺っても大丈夫ですか?と尋ねたところ「大丈夫です」とのことだったので24:00頃帰宅後、車で母のもとへ。翌2019年5月18日(土)AM1:30頃到着。


朝まで部屋で一緒にいてもよいとのことでベットの脇に椅子を寄せて母を見守った。ベットで弱弱しい呼吸を繰り返す母。気が付くと呼吸が止まっている。・・・ 10秒、15秒見守っていると、「はぁっあぁー」と息を吹き返し大きくあえぐような呼吸を繰り返す。次は息を吹き返さないのではないだろうか? この次は大丈夫か? ・・・ が翌朝まで続いた。
いつかこの呼吸が止まる時が来るんだな、これが人の自然な最期の迎え方なんだな、となんとなく受け入れた。
令和元年(2019年)5月19日

母が部屋からみていた5月18日(土)早朝の緑の風景
令和元年(2019年)5月19日




当日姉が来るとのことだったので一旦自宅へ戻り出直すことに


5月18日(土)一日を乗り切り翌5月19日(日)早朝最期の時を迎えた苦しむことなく穏やかに、命の灯を最後の最後まで燃えつくした見事な命の終わりだった


・・・あらから1年の今日墓参りへ行き1年前のこの記録を残す。


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